Sweet dreams

カテゴリ: 日々雑感

多分みなさん暇だと思うんですが、自分も同じくということで。最近DAZNなりテレビなりで懐かしいサッカーの試合(もはや懐かしくなく初見というのもありますが)を見る機会が多くて、色々と昔好きだったサッカー選手の動画を見ています。昨シーズン限りで引退して突如Youtuberとして覚醒した那須大亮氏のチャンネルをよく見ているのですが、その中で面白かったものを紹介しよかなと。暇でどうしようもなくなったら見てみてください。ちなみに企画はベタベタです。

・名波浩×那須大亮

元日本代表の背番号10、ジュビロ磐田で輝かしいキャリアを築き、昨シーズンまでジュビロ磐田の監督をしていた名波浩が語る日本代表のあれこれ。自分は選手としてのこの人のプレーが大好きだったので響くのかもしれませんが、グッと来る話が多いです。最近Jリーグ開幕当初の試合の放送を見ましたが、やっぱあの辺りの選手たちは凄いんだなぁと思いました。

・小野伸二×那須大亮

同じく元日本代表。天才ファンタジスタ小野伸二。小野伸二と中村俊輔に憧れてサッカーを始めている世代ですので、彼らの本などで色々な話は大体知っているのですが、オーバーエージで参加していたアテネオリンピックの話はこれまで話しているのを見たことがなかった気がします。

・チョン・テセが選ぶ嫌だったディフェンダーベスト3

元北朝鮮代表、鄭大世が選ぶ対峙して嫌だったディフェンダーベスト3。大体いつもベスト3とかの企画をやってて当たり外れが激しいのですが、テセ回はサッカーはメンタルスポーツということも含めてよく示していて面白い。技術だけではどうにもならない世界、意外と頭を使うんだなと言う点がわかるんじゃないかなと思います。

・ Jリーガーのドーピング事情

自分は重度のアレルギー患者なので、もし仮にサッカー選手だったら心折れてるかもしれないなと思いました。昔医者に言われたことがあるんですよね。「アレルギーあるからサッカー辞めたほうが良いよ」って。何バカなこと言ってんだ殺すぞくらいに思ってた中学生時代でしたが、今考えるとこういう事を言ってたのかなと。

・おまけ



ただただ最近良いなと思った楽曲を紹介する記事です。

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サイダーガール  -「週刊少年ゾンビ」
軽快なリズムと音に釣られて聴いていたらボーカルの声が素敵でびっくり。ニコ生出身らしくそう言われると確かにそんな感じだなと。ちょっと古臭さを感じる楽しい歌です。

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King gnu - 「小さな惑星」
King gnuも絶賛聴いているのですが、よくも悪くも「白日」のインパクトが強すぎて他の曲があんまり入ってこなかったんですよね。そんなところにリリースされた新しいアルバムに収録されている一曲。この曲がズバっと自分の中にハマってきてからはこのグループの良さがわかるようになってきた気がします。サビのリズムが好きですね。

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星野源 - 「Same Thing」
全部英語の歌で歌詞すらよくわかってないですが、これを聴きながら夜道を散歩していると無敵感がでる不思議な曲です。まとまった時間(車での長距離移動など)の時に聴くと良いアーティストこと星野源さん。
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日向坂46 - 「ママのドレス」
表題は個人的にそんなに…という感じですがこの曲はほんとに好きですね。何か突出したものがあるわけじゃないと思うんですがなんか凄く好きな曲。

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DOBERMAN INFINITY - 「ずっと」
タイムスリップしたのか…?と感じるくらい古臭いラップ系ラブソングです。最初のサビ聴いた時のボーカルの声の良さに惹き込まれました。

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Creepy Nuts - 「阿婆擦れ」
オードリーのANNを聴いている人なら…というわけでもなく最近めっちゃテレビに出ているCreepy Nutsも最近かなり聴いています。なんならこれかKing gnuしか聴いていないくらい。「よふかしのうた」や「犬も食わない」も非常に良いのですが、これが好きですね。ラップと言うと我々くらいの世代はSOUL’d OUTを思い出すと思うのですが、彼らもそこからラップに入ってるみたいなのでなんとなく親近感。

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- 「Turning Up」
最初に聴いた時はまた普通の曲が来たなぁと思っていたのですが、噛めば噛むほど良いスルメ曲でしたね。紅白(かもしくはその付近でやってた音楽番組)で披露している姿を見たのですが、振り付けがめちゃくちゃかっこよくて嵐解散しないでおじさんになりました。(解散はしない)


新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。新年一発目の記事で申し訳ないですが、この記事は実生活で自分のことを知っている人しかわからないようなことばかりなので、同じく更新している一口馬主振り返り&目標記事をもって最初の記事にさせていただければと思います。




2013年12月18日に自分の叔母さんが亡くなりました。心筋梗塞でした。叔母さんについては言及しませんが、サッカーに連れて行ってくれたのも、競馬に連れて行ってくれたのも…大体なにか最初に連れて行ってくれたのがその人でした。父親も母親も共働きで土日は大体叔母さんのいる母方の祖父母の家に行っていました。自分がサッカーを始めるまでは大体そんな感じでしたので、幼少期の自分にとっては、半ば姉のような存在でした。昨年のそれに当たる日がいわゆる七回忌になりました。

今だからこそ弱い自分を認められるのですが、自分は叔母さんが亡くなったと聞いたその瞬間から普通じゃなかったと思います。叔母さんが寝ているときに亡くなったということもあり、それから1年くらいの間は寝ることが怖かった。寝ている間に誰かが死んでしまうのではないかとか、叔母さんが亡くなったことを聞いたのが飲み会の場だったというのもあり、飲み会に参加することが怖いとか、そもそも楽しいことをしているとき不意にまたそのようなニュースが自分を刺してくるんじゃないかという恐怖感を常に感じていました。心筋梗塞を起こした人間に対して何をすることもできないのですが、例えば”今ここでなにかしないことで何かを失うかもしれない”という極面が来ると(そんな極面なのかはわかりませんが自分がそう思った時ということ)行動せずに居られなくなってしまった。黙って見ていることができないんですよね。恐怖で。だからそういう自分の恐怖感を押し付けてしまった人がもしかしたらいるかもしれません。

七回忌の日、そこにはあの日お葬式で集まったのと変わらない人たちが集まることができました。それは何より幸せなことで、悲しみに打ちひしがれた家族や親族にとっては、それこそ感謝すべきことなのではないか思いました。会の途中、叔母さんの出棺の時に父親に言われた「お前は先に死なないでくれよ」という言葉を思い出しました。皆が笑顔で和やか会となったのは何よりでしたが、おそらく十三回忌の時には誰か、もしかしたら自分以外居なくなっている可能性すらあるのだなと。改めて考えるきっかけになりました。こればっかりはどうしようもないことで誰もが通る道なのですが、不思議と叔母さんを失った時ほどの怖さはありません。これも経験なのかもしれません。

最初のお盆の時、自分は叔母さんの声を聴きました。その時はそれこそお葬式の時に集まって初めて叔母さんを迎えるお盆でしたが、皆で談笑をしているときに明らかに叔母さんだろうと感じるこの世では発することのできないような声を聴きました。家族皆がその時声がした方向を向き、ごく自然に「叔母さんの声が聞こえたね」と語り合いました。その声がして以降お盆が終わるまで部屋からハエが出ていかなかった。気がつくといなくなったのですが、それ以降七回忌の日まで、自分がとても落ち込んだ時やなにか大事な時には必ずハエが現れます。季節柄絶対に現れないとか、どこから入ってきたのかわからないときでもハエが現れる。叔母さんがハエに生まれ変わったとまでは言いませんが、少なくとも自分はハエの存在で叔母さんを感じることができます。

亡くなった翌日、母親の夢の中に叔母さんは現れたそうです。叔母さんは母の姉なので、母の思い入れがそうさせたのかもしれませんが、その際叔母は「〇〇(自分の名前)の身体だけが本当に心配だ」と伝えてきたそうで、そのことを教えてもらいました。その時はまだまだ体力的にも元気で、週5回は運動しているような人間でしたから、どうしたものかなと思っていましたが、結果的には体調が本当に悪くて気分も落ちてしまっていた時期がありましたし、やっぱり今でも見守ってくれているのかもしれないなと思います。昨年は色々と母親に相談をすることがあったのですが、そんな時母親は「元気じゃなくたって悩んでいたってそんな○○(自分の名前)を叔母さんは見ていたかったはずなんだから、それなりに生きていけばいいんだよ」と言われました。七回忌の日、お坊さんがお経を唱えているのを目をつむって聞いている時、やっぱりハエが自分の横を3回くらい通り過ぎました。この先家族の皆が居なくなっていくことを考えると、やっぱりなるようにしかならないように思うし、七回忌を期になんだかすごく考え方が軽くなったような感じがしていて、本当に意味で悲しみに打ち勝てたのかなと思います。

2019年は色々と苦しいことが多かった一年でした。苦しかったというか自分が苦しく捉えすぎていたような気がしています。今までは考えたことも無いことを考えたり、それに伴い同時並行で違うことも考えなきゃ行けなかったり。今までの人生経験の薄さを痛感しました。しかし何事も経験せねばわからないことばかりなので、経験できた苦しむことができたというのは良いことだったなと思います。なんとなく波がこちらに向いているような感覚で年末そして今日一日を過ごすことができたので、今後とも宜しくお願いいたします。意味不明ななぐり書きに映っていたらそれは正しいと思います。お読み頂いている方がいるとしたらありがとうございました。



今まで全く関心がなかったのだけど、この秋はどうにも目につくことが多くて、生まれて始めて美術館に行ってみた。世間一般で知られている画家なども全く知らない状態で、でもなんとなく行ってみたいという気持ちになった。いざ実際に見に行って、最初に絵を見た瞬間に「なにもわからない」ということに気が付き焦る。その展覧会は19世紀後半にフランスを中心に流行り、日本でもかなり人気がある”印象派”と括られる画家の作品が展示されているもので「この場で一緒に見ている人たちはこの絵から何を感じているんだろう?」そして「自分なりに良いと思ったものを探してみよう」という気持ちで全作品を見た。そうすると自分なりの好きなタッチや画風、取り上げられている題材が浮かんできた。そんな”ちょっと面白い”という感覚のまま展示会を後にした。そういった展示会では、展示されている作品に解説を加えた資料本が売り出されていて、それを購入し食い入るように見た。それだけでは飽き足らず”西洋絵画が分かる本”みたいなものを購入し、自分が全く触れてこなかった世界の美術史について勉強しはじめた。歴史が比較的に得意な自分の中で唯一苦手な部分がこういった芸術系や文化系のワード。人ってきっかけ次第だなと思う。

2つの「夢」というタイトルのついた作品について紹介したい。1つ目はアンリ・ルソーが書いた「夢」だ。この作品はちょうど上記のような時期にたまたま手にとった原田マハさんという方の小説「魅惑のカンヴァス」の中でメインテーマとして取り上げられている作品だ。もちろん実際に見たことはないし、ルソーの作品もこれまで見てきた展示会の中では多く展示されているわけではなかったが、”素朴派”と言われる画風が印象に残っていた。ちなみにクォリティタイムの名前を考える時にたどり着く人はたどり着くだろう「眠れるジプシー女」という作品もルソーの作品だ。魅惑のカンヴァスという小説は、半フィクションのような形が取られていて、作者が作り出す世界観の中でのルソーが垣間見れる。この作品をきっかけにさらに色々な絵画が見たいという気持ちになった。原田マハさんは絵画をトピックにした小説を多く書かれているが、今までに3作品読んでどれも面白かった。機会があればぜひ手にとってほしい。

2つ目はマルク・シャガールの「夢」だ。(リンク先3列目の右)これは一番直近に行った美術展の中で展示されていた作品。シャガールは20世紀に活躍した画家で、自分はこのとき初めて彼の作品を見た。一見かなり暗いような作品が多いのだけど、よく見てみるとポップなタッチで描かれている。愛妻家で有名だったようで、この夢という作品は妻を病気で亡くした後に書かれた作品のようだ。この作品の前に立った時になにかとてつもなく物哀しい雰囲気を感じて思わずじっくり見入ってしまった。夢というワードはどちらかというとプラスワードに分類されるような気がしているが、必ずしも良いものではないし過去を思いださせ悲しいこともある。そんなことが作品の中で表されてる気がした。


2017年12月9日はファンディーナのラストランとなった日だ。あの日は中山競馬場でレースを見ていた記憶がある。当たり前だが良い記憶ではない。もう2年も経つのかと思うと懐かしくもあるが、ローズSや秋華賞の負けにはない振り返りたくない感情が未だに存在している。全レースを見返すことがあってもおそらくこのレースは見直さない。レース中になにかあったことが見えてしまうわけではないのだけど、それでもなんとなく遠ざけている。その一方で素晴らしすぎた春の経験は今でも心の中にときめきを保ちながら存在している。タイ語で「良い夢を」という意味の馬名をそのまま表したような競争生活だった。本来的な夢の形として、きっと秋の不振そして怪我。幸い大事に至ることなく繁殖入りすることができたというところまでセットで表していたのかもしれない。この馬が自分の人生で一番の馬であり続けるとまでは言わない。欲深いと自覚しているがこの馬を超える馬に巡り合いたいと思っている。

日曜日の中山競馬場で今年度2歳世代出資馬の初出走があった。「夢物語」とつけられたその馬はルコントブルーという。体質が弱いのもあるしかなり臆病な性格だった。ゲート試験ではゲートが怖くて、近づく度に小刻みに震えてしまうと伝えられているほどだった。脚元の状態もあって調教を進めるにしてもおっかなびっくりで、タイムも平凡。先日の記事でも書いたがデビュー戦から走れるようなタイプとは思わなかった。パドックで実際に見てもまだまだ緩いという感じがして「果たして掲示板に入れるかどうか…」という気持ちで見守っていた。そんな予想を遥かに上回るような走りを見せてくれた。3コーナーから4コーナーにかけてスッと上がっていくときの感覚は胸がときめくものがあったし、ここまでできると思わず感動した。いつものように検量所前まで走っていく。2着の場所の前には出資者らしき人たちが集まっていた。いつものように周りの人の会話を聞いていると、どうやら初めて出資馬が走ったらしき人とそのお仲間の方の話が聞こえてきた。「こんだけ走ってくれて嬉しい…」感無量な声で話していたのを聞いて心のなかで大きく頷いた。

よほどの馬に出資しない限り大体は負けるのだ。ダービーを勝ちたいと思っていてもそうなるのは途方もなく難しい。1勝することすら難しいのだから当たり前だ。夢という言葉はプラスのイメージ。でも現実は中々そうではないからこそ嬉しいことや楽しいことも存在している。ほんといつだって馬は全力で頑張ってくれていると思うし、この趣味は素晴らしいと思っている。先週4頭の出資馬が出走し、あわよくば3頭が勝てるのではないか?と思っていたのに、現実は4戦0勝だった男が言うのだから間違いない。着順が一番良かったのはあまり期待していなかった1頭だから面白い。こんな感じでたまに自分の想像を超えてほしい。そしてそれが夢を見ることのできるくらい、大きく越えてくれることがあってほしいなと思っています。


”デザインされた攻撃” という言葉をサッカー界でよく聞く。毎週末に試合を見てる人ならなんとなくわかるはずだけど、今のサッカー界は完全に組織と戦術の時代だ。少なくとも個の時代ではない。

世間では完全にラグビーブームだ。僕は世間ほどハマってはいないんだけど、それでも中継を見ていると勉強になることが多々ある。それは最近ハイライトだけ見ているアメリカンフットボールもそうだ。同じフットボールでもサッカーは不確実性のスポーツと言われるし、ラグビーやアメフトは確実性のスポーツだろう。ちょっとだけしかみていないが想像していたよりもラグビーやアメフトもミスや偶発狙いみたいなプレーが存在しているんだなと思った。

逆にサッカーは正確性のスポーツになってきている気がする。足元の技術はGKまで含めてあることが前提。ボールを受けられることが前提。適切なポジショニングをして状況判断をすることが前提。規則性を作り出し、決められたパターンで攻撃をしていく。ボールを奪われたらチームの規律に則った守備をする。絶対に正確性で2つのフットボールを超えることはできないんだけど、それに近い形で追求をしている気がする。だから優秀な指揮者によって攻守のルールやパターン、役割などをデザインされる必要がある。デザインされる選手は能力が高ければ高いほどいいが、ある一定の能力があり、当てはまる個性であればその選手の実力が120%発揮されることもある。もちろん逆もしかりでこれが浦和に来た選手が活躍できないことが多い大きな理由だ。スカウティング能力に問題があるのではないか?という話はまたの機会に書く。

リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドの次の時代が来ないと盛んに言われている。来ない理由なんてただ一つ。個も組織の一部でしかないからだ。個性で相手チームに向かっていた時代は過ぎ去り、対戦相手を分析しそれ様にデザインした中で相手に向かう。ファン・ダイクというディフェンダーの選手が今年のバロンドールの有力候補に上がっている。理由はなぜか。デザインされた攻撃を1人でストップしてしまうからだ。デザインされた中の一部でしかない攻撃の選手より、超人的なパフォーマンスが守備の選手には求められるからだ。GKを称えるレフ・ヤシン賞というのが創設されたのも、そういう意図が少なからずあるように思う。

リオネル・メッシは時代に逆行した。数年前まではしきりに運動量の少なさが指摘されていた。理由は上記。組織の一部であるべきという世界に抗ったからだ。その上で明らかにチームを勝利に導く。対してクリスティアーノ・ロナウドは追求した。ドリブルなどを含めたムーブに特徴があった彼は、チームがデザインした仕上げをするマシーンと化した。その上で世界最高の活躍をする二人を超えることは中々難しい。恐らく2年から3年後にはこの2人もパフォーマンスが落ちてくるだろうが、現在サッカーでこの二人を上回って超えるのは難しいはずだ。

職場の同僚の女の人が、ニコニコしながら「地区の運動会に参加したんだけど、その時の旦那がかっこよすぎて惚れ直した」という話をしてきた。その女性の旦那は自分が凄くお世話になった人だったというのもあり、旦那のことを知っている自分に話したかったそうだ。結婚して何年も経ち子供が3人もいる中でもそういう感情になるんだなと思った。やっぱかっこいいのって良いよなと思った。もしあなたがサッカー少年だったら?キャプテン翼とアオアシのどっちを好きになるんだろうか?自分は生まれた時代が良かったんだなと全く関係ない事象から思った。

キックオフのルールが数年前に変わった。キックオフの時に2人で蹴らなきゃいけない理由なんてきっと無かったと思う。でも2人で蹴ることに価値があったんじゃないかな?感情に訴える何かが確かにあったはすだ。

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